「人生に何度でもチャンスを」- 起業のきっかけ

思えば、苦難から得た強さが、今日の原動力に

私が札幌で生まれたのは1984年。幼い頃から決して恵まれた環境とは言えない中で育ちました。

母子家庭となり、札幌、函館から新潟、そして旭川へと転々とする生活。特に旭川での暮らしは経済的に厳しく、周りの友達が当たり前に持っているものが我が家にはない現実が、幼心に深く刻まれました。

「お風呂のない生活って経験したことありますか?」

中学時代には反抗期が重なり、自分の居場所を探すように周囲との軋轢、ケンカや、非行、様々な葛藤を抱えました。

当時は仲間とただ楽しく過ごしたい、自分は度胸があるということを証明したいという思いで、背伸びして悪いことにのめりこんでいきました。

そんな私の人生が変わり始めたのは、偶然自宅に訪問してきた自衛隊の方が告げた「少年工科学校」という選択肢でした。

貧しさから抜け出したい一心で飛びつきましたが、厳しい環境に馴染めず退職。挫折を得ました。

地元の友人が楽しんでいる中で、自分だけ過酷な生活をしていることに対しての覚悟が足りていませんでした。

転機となった入院体験

退職後は、一つ下で地元高校に再入学。高校時代も、入学1ヶ月で無期停学となるなど、不安定な日々を送っていましたが、無理な生活がたたり、「劇症肝炎の一歩手前、急性肝炎」で入院することになりました。

原因は医者も分からないとのことでしたが、私はなんとなく自覚、それはここでは秘密。

「なんで自分だけ」という思いが募り、正直、お見舞いに来られた他者にも強く当たりました。

しかし、病床で初めて自分の人生と向き合った時、「このままではいけない」という強い気持ちが芽生えました。

退院後は押し入れを机にして、一日14時間勉強に打ち込み、成績は飛躍的に向上。

しかし家庭の事情から大学進学を諦めるよう言われた時は、本当に絶望しました。

それでも諦めきれず、新聞奨学生という道を見つけ、慶應義塾大学への進学を実現しました。(新聞奨学生で入学するものの、必修が受けられなかったため、新聞奨学生を辞め、奨学金に変更)

この経験から「諦めなければ必ず道は開ける」という信念と、「世界には自分より遥かに理不尽な環境で生きる人々がいる」という気づきを得ました。いつか、そうした人々に力を貸せる人間になりたい—その想いが私の原点です。

社会人としての模索と葛藤

大学卒業後は金融業界を経て都市計画コンサルタント会社に入社。最初は専門知識もなく苦労の連続でしたが、「負けたくない」という一心で努力を重ね、14年間勤務する中で多くのプロジェクトを手掛け、最終的には最年少で室長に昇進しました。

当時は本当に嬉しかったです。
自宅で泣いた日々が報われたのですから。

しかし、表面的な成功を収めながらも「本当にこれでいいのか」という問いが心の奥底で大きくなっていきました。

再開発事業の意義と現実のギャップに疑問を感じる日々。

そんな時、コロナ禍の自粛期間中にアフガニスタンでの支援活動に人生を捧げた中村哲医師の生き方に触れ、高校時代に誓った自分の決意を思い出したのです。

「世界には自分より遥かに理不尽な環境で生きる人々がいる。いつか、そうした人々に力を貸せる人間になりたい」

始めるのは今ではないか、と。

新たな挑戦へ

2022年6月、安定した立場を捨て、新たな挑戦への一歩を踏み出しました。英語を学ぶためにフィリピンへ渡り、その後はケニア・ナイロビへ。アフリカに大量に輸入される古着問題に着目し、現地の産業育成とアップサイクルビジネスの可能性を探りました。

ケニアでの経験を通じて、アフリカの抱える様々な社会課題と、そこに眠る可能性の両方を肌で感じました。ルックスライクアビードなど、スラムや街なかで活動しているデザイナーと出会い、貧困地域への支援と自分の好きなアパレルというジャンルでの起業に向けて進み始めました。

幼少期から経済的な不安と向き合ってきた私だからこそ、真摯に貧困問題に取り組む現地の人々の姿に深く共感し、共に歩む道を今も模索しています。

KARL&C — 二つの文化を繋ぐ架け橋

私たちの新ブランド「KARL&C」は、ナイジェリアの水上スラム・マココで仕入れた鮮やかなアフリカ布「アンカラ」を活用し、東京下町の老舗メーカーの確かな技術で製作するブランドです。

アンカラ布が持つ豊かな色彩と大胆なパターンは、長い歴史と文化に根ざした美しさを秘めています。その一方で、日本の職人技が生み出す繊細な作りは、唯一無二の価値をお届けしています。

このブランドを通じて私たちが目指すのは、単なる「商品販売」ではありません。

ナイジェリアの水上スラム・マココの人々の暮らしを支え、日本の伝統的な製造技術を次世代に繋ぎ、そして消費者の皆様には「社会的意義と美しさが共存する選択肢」を提供することです。

そのために、まずは日本の人に、「マココ」や世界の貧困地域を知っていただくことがスタートと思っています。

一つ一つのバッグには、大きな夢と小さな希望が詰まっています。手に取るたびに、遠く離れた場所で生きる人々との繋がりを感じ、その物語の一部になっていただけると幸いです。

私の信念

人生には思いがけない困難がつきものです。しかし、どんな状況でも諦めずに前に進めば、必ず道は開けると私は信じています。そして、自分が経験した苦難があるからこそ、同じように困難に直面している人々の力になりたい。

「世界の誰もがもっとチャンスを得られる社会の実現」——この言葉を胸に、これからも挑戦を続けてまいります。

そして、つらいときにいつも支えてくれた母や家族、みなさまに恩返しをしたいです。


代表 辻 薫

ブログに戻る